ねことねずみ。

 
 事の始まり。

 母親に手を引かれて歩く子供が立ち止まり、空を指差した。
 そこには未確認飛行物体と思われる球体。
ゆっくりと、球体は親子の近くに音も無く落下してゆき、やがて地面に着地してただの球体に変わる。
 母親は不気味がって子供を連れて球体から離れようと子供の手を引く。
しかし、子供は純粋な好奇心に逆らう事が出来ずに危機感等持ち合わせていない純粋さで球体の傍へ走って行く。
 かち、かち、と。静かに響く死の足音は、はしゃぐ子供の耳には届かない。
 刹那、角膜を焼く様な閃光が球体から放たれた。
 記憶も、存在も。何もかも。
 残さずに、ただ静寂だけがその場に残されていた。

 平和だと云われていた日本の平行線は真逆様に急降下した。
 平和惚けした人々が生み出す混沌。無に帰す恐怖。
 物云わない破壊者の侵攻はただ速やかで、人々は未確認飛行物体を視界に入れれば形振り構わず逃げ惑い、そして何も残さず消えて逝った。

 悲鳴と、連なる不協和音の足音。
とある一室に住む2人と1匹も近くで未確認飛行物体が発見されたと云うニュース番組を見ていた。
どちらかと云うと保守的で、現実主義の1人はこんな呑気にしていられない、逃げなくてはと外の混沌の中に身を投じようとしていた。
どちらかと云うと退廃的で、刹那主義のもう1人は窓の外から耳に届く阿鼻叫喚を背景音楽に、テレビの中で必死に情報を伝えようとするアナウンサー達のジャーナリズム精神と云う物に感心していた。
 そして1匹は滑車を回したり、毛繕いの様な準備体操の様な不思議な動作をしたりと動物的勘が告げているのか逃げる用意を万端にしている。
 保守的な1人は貴重品を素早く纏めて全く危機感のない退廃的なもう1人を急かす。秘かに現実ではない現実を楽しんでいたが、保守的な1人と離れるのは嫌だったのか重い腰を上げてテレビの電源を落とす。そして滑車から降りて準備は万端だと云いたそうに大きな瞳を輝かせた1匹を両手で救い上げた。
 そしてポケットの中に落ち着かせようと思うも、外の人混みの中で潰されないだろうかと思い止まる。更に見た感じでは頬袋の中に食料を蓄えているとは思えない。
抜けているところが似た者同士だな、と玄関まで引き摺られるまま進めていた足を止めて、部屋の中に戻る。
保守的な1人は何なの、と外の人間達と同じ音程でもう1人の行動を咎めた。
退廃的なもう1人はご飯が無いし、確かガチャトイの空き容器があったから入れてやるのだと告げる。
 そんな事をしている暇はないと玄関から保守的な1人は甲高い声を上げる。
しかし退廃的なもう1人は例え2人だけ助かって1匹が助からない事は嫌で、出来るだけの努力をしたかった。
 何も云わずに首を振って退廃的な1人は1匹の食糧と空き容器を探す。
痺れを切らした保守的な1人は言葉にならない金切り声を残して部屋を飛び出していった。
途中までその足音を聞き分けられていたがやがて不協和音の一部に変わってしまった。
哀しいと、心細いと退廃的なもう1人は思ったが、保守的な1人が居なくなってしまった事に1匹への気持ちは強くなる。
 少しだけ、あの閃光に触れて跡形もなく消えてしまう事に魅力を感じていたが1匹を守る事を理由に混沌の中に飛び込んでゆく決意を固める。
 空き容器の中に1匹を入れて、小さな鞄に1匹の食糧と水を入れて扉を開けた。
 その刹那、閃光が走り、人々の叫び声が鼓膜を破りそうな音量で響く。
何となく、保守的な1人があの光に消されてしまった様な、一抹の恐怖が脳裏を過る。
空き容器の中の1匹も落ち着かない様子で耳を動かしてきょろきょろと周りを見ていた。
 逃げると云っても安全なところなんてあるのだろうか。あの球体はどこにでも音も無く現れて、前触れも無く静かな爆発をする。
 扉の前に立ち尽くしているとちぃ、と1匹の声が辛うじて耳に届いて覗き込むと行く先を示すかの様にふらふらと後ろ足で立って前足を動かす。
どうせ行く宛もない。1匹が示すままに人々の流れに従ったり、逆らったり。
 普通に歩くよりもやはり疲れる。人々の喧しい声と思い通りに進めない事に精神は擦り減ってゆく。が、その度に1匹はちぃ、と小さく鳴いて励ます。
 そして漸く何度か利用した事がある駅の前に辿り着く。1匹を見ると中に入れと云わんばかりに狭い容器の中で滑りながら前に進もうと暴れる。
 意図を理解出来ないまま駅の中に入って行くと、テレビの中のアナウンサー達と同じ、人々の移動を手助けするために危険を顧みず働く駅員達のお陰で電車は機能していた。
 どこへ行くのか判らない。でも1匹が示してくれた道だと電車に乗り込むと間もなく電車は動き出して景色が変わる。
 響くのは、車両が揺れる音。先程迄の人々の狂った叫び声に侵された鼓膜が癒されてゆく。

 静かで、誰もいない車両。居るのは退廃的なもう1人と、1匹だけ。
 どこまで行くのか判らない電車に揺られていた。

と云う、夢を見たんだ。