こんばんは、いろはです。
Twitterから追放を受けて約3週間。
加えて花粉のおかげで持病の喘息が悪化して絶賛体調不良の中、更に突然別の何かがアレルギー要素に加わったのか(花粉は既に規定値の上限)検査結果待ちですけれど、アナフィラキシーショックの一歩手前の症状が出て地獄を見ました。
幸い訪問看護中だったことによってそこまで大事には至りませんでした。本当に支援者の方達のおかげで生きている日々です。感謝です。
それ故にまた更新情報の記事で月に負け犬の歌詞を書いたのですよね。
普通に生きていても不慮の事故に遭うかもしれない、自然災害が起こるかもしれない。
わたしの障害はまだ研究が進んでいないことと、患者数も少ないので治験が進まないようなのですよね。
患者個人で病状が少しずつ違うものの、共通点は同じなので一括りにしているようなものでしょうか。
今のところこの障害のみで死亡ケースが存在しないことから死に至る病いではないとされているだけで、でも誰だって明日のことも来月のことも来年のこともわからない。
1年前に病名として確定してから生きていることは当たり前ではないのだなと、生きている限り必ず死というものは追いかけてくるのか向かっていくのかはわかりませんけれど、誰も逃れられない共通の終着点。
今まではまだまだ時間があるとそのうち完結させる、と綴ってきていましたけれど無理かもしれない、と思った時にものすごく怖くなったのです。
どこかで書いたかもしれませんけれど、自分ではわかる形では文章として形にはなっているのでそれを整えさえすれば公開できると思うのです。
でも、なんだかそこまで完璧を求めなくてもいいかなと。
それよりも作品として終わりを与えることの方が重要かもしれないと価値観? 考え方が変わってきたかもしれません。
自分が生み出した物語に人物をどこかに残しておきたい。
なので最近は生存報告代わりに創作ノートからランダムで作品を投稿しています。ここにも一緒に置ける時は置いていますのでちまちま作品が増えていると思います。
なんだかんだ言っても、あと60年くらい生きるのかもしれません。その時はその時でよかったね、と安心できますけれど1度芽生えた恐怖心のおかげで創作に関しては生き急ぐようになったので、完結させる詐欺はもうしなくなるかと思います。
書ききれないものはあらすじだけ書いて作品化はしないとか。
うーん、いまいち思考がまとまりません。雑記なので良いですよね。
[su_spoiler title=”拝啓。いつか、「悲劇のヒロインぶるな」と仰ったあなたへ。” icon=”caret-square”]『悲劇のヒロインぶるな』
と嗤うのならばご勝手にどうぞ。
死が怖いですよ、だから何ですか。
その頃の記憶は酷く曖昧で、すべてを覚えているわけではないけれど。
恨んでいる訳ではないけれど、今でも悪夢として蘇る苦しい記憶とはもう決別をしたい。
『こぼれたミルクは戻らない』
わたしはきちんとわたしのことを理解してくれる存在を得られたから、これからも好きなように好きなものを描いていく。
そういった信頼できる存在ができていることを祈っています。[/su_spoiler]