偽りのエデンより。 – Episode 0 –

 近年では見かけることがなくなったバンド形式の音楽ユニット、Re:plicare。
 固定メンバーはこの世に存在する楽器という楽器をすべて奏でることができる希少な純血種の吸血鬼であり、有名作曲家でもあるリーダーのアダム。視覚、聴覚から得られる情報以外はすべて非公開という存在が謎のヴェールに包まれた歌姫、イヴ。
‎ 情報公開から音楽業界の話題は唐突に姿を現したレプリカーレに独占されていた。有名作曲家であるアダムが懐古的な存在になりつつあるバンド形式でのユニット活動を開始すること。加えて現在姿しか公開されていないけれど、デザイナーベビーが当たり前になり、仮想現実世界というもう一つの仮想空間で理想通りの姿で過ごすことができる。そんな世の中では美しい顔なんてありふれたものとなり、個々で美的感覚が違うものの美しさ自体に付加価値など存在しない。
‎ なのにイヴの美貌は見る者を魅了し、どちらの性別とも捉えられる中性的な出で立ちは注目を集めた。
‎ 突然現れた無名の歌姫、イヴ。公開されたアダムと背中合わせで横顔のみが見える姿で映る姿は華奢なヒールを履いていることにより身長差をあまり感じさせなかったけれど、骨格は明らかに華奢な身体付きであった。
‎ 日々トレンド入りを続け、続報が待たれる中、突然全セカイのネットワークが電波ジャックを受けた。時間は楽曲のサビ部分と思われる四十秒間。個人が持つ電子デバイス、デジタル広告ビジョン、仮想現実世界、そのすべてにアダムが奏でるメロディとイヴの歌声が発信された。映像ではアダムはベースを弾いている。イヴ程ではなくとも中性的な見た目のアダムは女性らしい服装で演奏し、歌唱するイヴはどちらかといえば男性寄りのユニセックスな装い。アダムの存在がイヴの性別をより曖昧にさせて、その歌声までもがどちらとも取れる不思議な、しかしどこまでも透き通った魅了される美しい声であった。
‎ ずっと眼を伏せたまま歌い続けるイヴが歌唱の終わりと共にゆっくりと目蓋を開いた。
 
──新世界を、創造する。偽りのエデンより福音を。
 
 その文字とともに血を浴びたストロベリームーンのような眩い光を放つ瞳がカメラを見据えた。
 そこで唐突にネットジャックは終了される。誰もが息を飲んで二人の姿を食い入るように見つめた。しかし映像が終わり日常に引き戻されても人々は動けなかった。
‎ 理解が追いついてからあれはなんだったのか、と情報を求めるもののハッキングを受けた状態では誰もその映像を残すことをできておらず、もう一度みたいという声でどの界隈へも激震を与えた。
‎ 無名の歌姫は一躍その名を知らない者はいない時の人となり、再びトレンドを賑わせた。綺麗すぎる。このプロジェクトのためにアダムが育てた秘蔵っ子なのか。様々な憶測により話題が話題を呼び、セカイはレプリカーレのことで持ち切りであった。
‎ 配信日を迎えた瞬間からすぐに驚異的な売上数を叩き出し、癖になる。リピートが止められない。とセカイはレプリカーレを賞賛する声であふれた。
 しかし、それは当然のことであった。アダムの作曲、演奏技術は然る事乍ら、イヴの歌声には中毒性があり、脳内麻薬が発生するように仕組まれている。イヴの正体、雨宮湊は淫魔であり、人々を魅了することは簡単に行うことができた。そこに至るまでにアダムからの過酷な指導があったものの、素材自体は一級品であり、磨けば磨くほどに強く光を放ち、歌姫としての魅力は実力を伴い、その結果音源は合法脳内ドラッグとなった。
「ほらイヴ、見てごらん。セカイが君に夢中だよ」
‎ アダムは無表情でどこを見ているのか、何も見ていないのか判然としないイヴに語りかける。答えはなくゆっくりとした瞳の瞬きだけが生命を持っている証であった。
「約束通り、君たちを知る者はすべて秘密裏に葬った。次は私との約束を守ってもらうよ 」
「……ええ」
 ようやくイヴはその声帯を使い空気を震わせた。魅惑的な声はもっと聞かせてほしいと一般的な人には求められるであろう。しかし二人とも魔の血を持つ者同士、互いの魅了能力は相殺される。
 世間が熱狂すればするほど、イヴの感情は冷めていくようにみえた。自身が嫌悪する絶対的魅力に狂う人々を、同時に憐れむ気持ちさえもあるかのように物憂げに眼を細める。
‎ おぞましいことを考える人物に眼をつけられてしまった。ただ同時に自分たちの願いは叶えられて、仮初めの自由を手に入れた。
 すべては何よりも大切な唯一の家族である妹のため。そのために世間を欺き、狂わせることも厭わなかった。
‎ 世界を敵に回しても、守りたい大切な家族。身も心も傷つけられて今もなおその傷は癒えることはなかった。
「私の眼に狂いはなかった。イヴ、君は最高の歌姫だよ」
 先ほどからアダムの電子端末からの音は鳴り止まない。すべて仕事の依頼であろう、しかしアダムは気にすることなく自ら育てあげた歌姫を抱きしめ、満足気な笑みをその整った口許に刻んでいた。