泡沫一夜。

 彼女の指は、声は、私をどうしようもなく乱す。
「あっ……、あっ、あうぅ……っ!」
 甘ったれた、媚びを隠さない声に、彼女は小さく笑い声を落とした。
「ダメだよ。まだ、我慢して」
「やあっ……も、むり……なかぁ、中触ってぇ……」
 中途半端に上着を乱されて、ブラも上にずらされた状態でひたすら胸の先を弄られ続けてどれくらいの時間が経ったのだろう。
 自分で触ろうと思えばできる。彼女は特に私を拘束しているわけではない。
 それなのに膝を擦り合わせて微かな刺激だけで耐え続けているのは、密かに持っていた被虐性を、そして彼女が持っていた嗜虐性が噛み合ってしまった結果なのだろう。
 どうして彼女とこんなことになっているのか、快楽にとろける頭でゆっくりと思い返す。

 彼女と一緒に残業して飲み帰りの社畜の端くれにも置けない奴らに囲まれて帰宅している最中に私が痴漢されたのが事の発端だ。
 酔っ払って気が大きくなっていたのだろう。背後に立つ男は随分大胆に下半身を押しつけてきて正直うんざりしていた。
 それでも先の通り私は被虐性を持ち合わせており、更にタチの悪いことにビッチと呼ばれる部類の人間だ。
 なすがままにされるがままに。こんなことで帰宅時間が遅くなるのも嫌で黙っていたところ、眼敏く彼女は私が置かれている状況を察知して、さり気なく間に入ってきた。
 そこまではいい。感謝と頼りになる先輩とリップサービスをして別れて、帰宅したら晩酌をしてまた詰まらない仕事のために朝を迎えるはずだった。
 なのに、彼女はあろうことか酔ったフリをして首筋に顔を埋めて、舐めた。そのまま耳許へ、そして耳朶を噛まれた。
 久しぶりに感じた女性特有のやわらかで、繊細な唇。小さくてかわいい歯の感触。
 ああ、これはだめだ。そう感じた時に電車は駅に停車し、しなだれかかった彼女に押されるままいつも通過する駅に足を踏み入れて、引かれるままホテルに来てしまったのだ。

「あん……っ、や……耳……やだ……」
 また、噛まれて生温い快感に浸る。耳の形をトレースするようにやわらかな舌は這い回る。
ぴちゃと濡れた音は彼女が立てるものなのか、私が立てたものなのか。
 その舌を噛んで、吸って、同じようにしてほしい、なんて考えはするものの後ろから抱き抱えられているような体勢では叶わない。
「しし、ざき、さん……やだ……もうむり……っ、むり……っ」
「……ここだけでイケたら、いっぱい触ってあげる」
 くらっと、眩暈がした。指先は優しく触れるのに、言葉は残酷で差異にじわっと涙が滲んでくる。
 そんな言葉だけで軽くイきそうだったけど、まだ楽しみたい。男でこんなにじっくりと可愛がってくれる人は少ないから。
 つい最近、面倒になって切ったセフレもそんな感じだった。
 そういえばそんな修羅場にも彼女、獅子崎さんが偶然現れたことをぼんやりと思い出した。
「っあ! あっ、ああ……っ!」
 ずっと触れていたから私が好きな触り方なんてもう気づいたのだろう。胸だけでイくなんて考えたことも、しようとも思ったことがないのに細かく中が痙攣してくる。
「あいっ、イっ……っ!」
 イく。そう思った瞬間、獅子崎さんは私の胸から手を離した。
「あぁぁ……やぁ……」
 どうして、そう思った瞬間。獅子崎さんはまた笑った。
「あれ……ちょっとやりすぎちゃったかな」
 脊髄反射で脚が震えているのを見て獅子崎さんは残念そうに艶のある綺麗な声で呟いた。
「やだ……ッイッてない……っまだ……っひうっ!」
「すごい……胸触ってただけなのに、こんなにぬるぬるしてる」
 既に役目を果たさなくなって随分経つ下着の上から陰部を擦られて信じられないくらい身体が跳ねる。まるで電気を流されたみたいに。
「あっ、あ、あ、あっ……っあぁあー……っ!」
 するりと、抵抗なく綺麗だなと思っていた長い指が中に滑り込んできただけで、イってしまった。
 締まりがいいとよく云われるだけあって獅子崎さんの華奢な指の形がよくわかる。
「っだめ、っやっ、そこっいまだめ……っ!」
 まだイった衝撃が受け止めきれなくて痙攣しているのに、獅子崎さんの指がすっかり腫れ上がったところを探り当てる。
「真面目な子だと思ってたのに……こんなにしちゃうんだ……?」
「っ……! だ、め……っも、」
 びしゃっと下着が完全に許容範囲を越えた水量を溢れさせてぽたぽたとスカートに染み込んでいく。
「……へえ、潮吹きって本当にするんだ」
「ふっうぅ……っやぁ……も、やだぁ……っ」
 興味深そうに優しくそこを撫でられるだけでびしゃびしゃと止め処なく溢れて、獅子崎さんの手を濡らす。
 気持ちいい、恥ずかしい。様々な感情が入り乱れて自分が何を口走っているのか曖昧になる。
「触って欲しかったんでしょう?」
「っ──……っ、くぅ、うぅ……っ!」
 ずっとイっていたのにさらに大きな波に飲み込まれて、何も聞こえなくなる。ちかちかと目蓋の裏で光が散って、ぐったりと獅子崎さんに身体を預けた。
 意識がはっきりしてくると私だけが激しく息を乱して、シャツが汗で張りついて気持ちが悪い。
 お互い顔が見えない状態で、何を云ったらいいのかわからなかった。喉が渇いて声を出そうにも掠れて、軽く咳き込んでしまった。
「……お水飲む?」
 獅子崎さんの声は先ほどまでとは違って、いつも通りの調子だった。仕事で困っていると、そっと押し付けがましくない程度に助言してくれる時のような、優しい声。
 こくりと頷くとそっとベッドに私を寝かせて、冷蔵庫に水を取りに行った。
 よくよく考えたら私も獅子崎さんもスーツのままだ。私なんて特に酷い。スカートがずぶ濡れでクリーニングに出さないといけない状態だ。
「はい、どうぞ」
 わざわざグラスに注いで差し出された水を私は一気に飲み干した。本当に渇ききっていた。それを見てまた水を注いでくれたのを飲んでようやく一息つくことができた。
「服、ごめんね。新しいの……今はお店空いてないか」
「いえ……私が、その……悪いので……」
 止めてほしいとは云ったものの結局甘受したのは私だ。
 獅子崎さんは当然だけど私の癖を知らなかったのだから仕方がない。
 何となく恥ずかしくてブラを適当に直してシャツのボタンを留める。
 こんなことになるとは思わないので替えの下着も、スカートなんてもちろんない。
「……あ、適当にドライヤーで乾かしてタクシーで帰るので気にしないでください」
「……でも、」
 別にいい思いをさせてもらったから獅子崎さんが気に病む必要なんてない。
 気持ちいいことは嫌いじゃない。状況としては私が痴漢されて、更に獅子崎さんに痴漢されてお持ち帰りをされたわけで。一応被害者の私が災難だと思っていないのだから。
「……送ってくから、シャワー浴びておいで」
「……はーい」
 おかしな状況だけど獅子崎さんも疲れでおかしなことになっていたんだろう。明日からはいつも通り。また退屈な日々の繰り返し。
 勢いをつけてベッドから起き上がり、私は浴室へ向かった。

***

 普通の、後輩の一人だった。
 あの日、あんな場面を眼にするまでは。
 比留間ミケは新卒で入ってきて、誰にでも愛想がよく誰からも好かれていた。
 勤務態度も問題なく、平均的すぎてあまり印象に残らない存在だった。
 その日は会議の準備があり、資料を抱えて会議室の扉を開けようとした時、鍵がかかっていないことに気づいた。
 前の利用者が閉め忘れたのだろう。それくらいしか思わず無遠慮に扉を開けたら、いつも笑顔の比留間が酷く不機嫌そうに乱れた着衣を整えていた。
 そしてそこにもう一人、こちらもやはりあまり印象に残っていない男性社員が凍りついた表情でこちらを見ていた。
 ふっと視線を上げた比留間は、突然「助けてください……」と弱々しい声を出した。
 続いてフリーズから復帰した男性社員が「違う!」と反射的に声を上げたが、私には全く状況がわからない。
 比留間はよろよろと私に近づいてきて、縋りついて静かに嗚咽をこぼした。
 その身体が妙に熱っぽくて、首筋からは甘い香りが漂って。
 今まで、感じたことのない衝動を抱いた。
 私は特に色恋沙汰方には明るくも、疎くもなかった。人並みに男性と付き合い、別れ、することもしてきた。
 しかし、不感症まではいかないもののまったくセックスに興味がなかった。別れる原因は大体それで、来る者拒まず去るもの追わずな私は何も感じていなかった。
 そんな私が彼女に、触れてみたい、なんて。
 私はバイセクシャルかレズビアンだったのかと、衝撃を受けた。
 その件は厳重注意で済ませた。そして比留間に近づかないように、と男性社員に警告した。これは当たり前のように比留間に触れられる彼に対しての嫉妬だったのかもしれない。
 真相はわからないままだったが、比留間は私によく話しかけるようになった。仕事のこと、些細なこと、しかし恋愛のことだけは比留間は語ろうとはしなかった。
 私の中で比留間は可愛い後輩になった。そもそも今まで恋愛に意味を見い出せなかった私が比留間を好きになったとしても、どうすることもできない。それにこの関係が壊れてしまうことが怖かった。

 そんなある日のこと。私の仕事を手伝って残業してくれた比留間とまだ乗客が多い電車で一緒に帰っていた。
 比留間は他愛ない話を振ってきて、にこにこしていた。
 いつも通り、なのにアルコールの匂いに混ざって、頭を揺さぶるようなあの匂いが鼻をついて、注意を向けてみると酔っ払いの男に股間を押し付けられている状態だった。
──許せない。
 そんな感情でいっぱいになって、気づいたら間に割いっていき比留間に距離が近づくと、余計にその匂いは濃くなる。
 比留間のフェロモンなのだろうか。知りもしない男に欲情されて、比留間は、喜んでいたのだろうか。
 つまり、あの会議室での一件の真相は……。
 そこまでは冷静な思考だった。しかし食べてくれと云わんばかりの真っ白な項が、魅力的で。気づいたら肌を舐めていた。
 やわらかく、ほのかに甘みすら感じる柔肌。そのまま匂いが濃い耳の付け根、普段隠されている耳は小さくて愛らしかった。
 衝動のまま噛みついてみると余計に匂いは濃厚になり、女性同士がどんな風にセックスをするのかなんてわからなかったが、抱いてみたいと思った。
 そこまで来て、私はそちら側の人間だったのだと悟った。
 お互い無言のままホテルに入った。比留間が抵抗しないのを見ると彼女はどちらの人間とも寝たことがあるのだろうと何となく思った。
 ようやく比留間に触れることができる。そう思ったら、気の利いた言葉も出てこなくて後ろから抱き秘めたまま、ベッドに座り込んだ。
 シャツのボタンを外して、下着を脱がせるのももどかしくて胸に触れるととてもやわらかく、温かかった。
 やんわりと触れていると比留間はふるふると身体を震わせて、微かに甘い声を上げた。
 可愛い。そして同時に自分の下着が不快感を覚えるほどに濡れていることに気づいた。
 もっと、もっと可愛がりたい。その声を聞かせてほしい。
 比留間の胸は私とは違い乳首が陥没しているようで優しく触れているとすぐに色素の薄い乳頭が出てきた。きっとここも甘いのだろう。しかし正面から向き合って比留間の顔を見る勇気は出なくて指先で大事に、慎重に触れていた。
「んぅ……あ、あん……」
 私とは違って感じやすい身体をしているようで、すぐに物足りなさそうにもじもじと肉付きの良い脚を動かしているのが可愛かった。
 眼一杯、気持ちよくしてあげたくて、様々な触り方を試して直ぐに比留間の感じやすい触り方はわかった。
 それでももっと。私には男性器はないから満足させることは難しいだろう。それが口惜しくてつい意地悪なことばかり云ってしまう。
 それにも関わらず比留間は怒ることも、ましてや抵抗もせずに受け入れていて、虐められるのが好きなのだろうかと思った。
 実際比留間は責めれば責めるほどにその声を甘くとろけさせ、全身で誘ってくる。
 そして私も同時に気づく。私は受け入れるより、こうして責める方が興奮するのだと。
 ピースが、噛み合ってしまったのだ。
 事を終えて、比留間を家まで送り届けても彼女は普段と何ら変わらない様子だった。
 「また明日」と云い残していった比留間がそのまま会社に来ないのではないかと心配したが、それは杞憂に終わった。
 本当にまるで何も無かったかのように、「おはようございます」と微笑みかけてくる。
 昨夜のことは夢だったのだろうか。もしそうだとしたら疲れているのかもしれない。
 パソコンに向かって資料を作成していると「確認お願いします」と比留間に任せていた分の書類が出来上がったようで、差し出されていた。
「ありがとう」
 受け取って目を通そうとすると下に付箋が貼られていて、そちらに眼を奪われた。
『またかわいがってくださいね♡』
 可愛らしい文字で書かれたそれに思わず比留間の方を見ると蠱惑的に笑っていた。

 その日の昼休み、私は比留間と女子トイレの個室に一緒にいた。
 いつも通り食事に誘ったはずが、比留間は「先にお手洗い寄ってもいいですか?」と聞いてきた。
 特に何も考えずにそれを了承したら「着いてきてください」と請われてまた何も考えずに受け入れたら個室に引きずり込まれた。その時に比留間の真意を悟った。
「獅子崎さんがいっぱい触ったから……ずっとじんじんしてて」
 シャツのボタンを外して中に着ていたブラトップを肩から落とす。現れたまろやかな胸の乳首にはバンドエイドが貼ってあった。
 それを剥がす刺激だけでも感じてしまうのか「ん……っ」と場所のせいか抑えた声を上げて顕になったそこは既にぷっくりと存在を主張していた。
「んぅ……っふ、んん……」
 昨日口に含んでみたいと思っていたこともあってそっと唇で食むとふるりと身体が震えて頬にやわらかな肉が当たった。
 そちらも片手で触れるとやわらかく指が沈み込む。張りがあるもののやわらかさも持ち合わせていてとても触り心地がいい。
「っ……あっ、……ん、んん……!」
 舌先で舐めると一瞬甲高い声をこぼしたものの、すぐに口許を手で覆ったようでくぐもった声になる。
「……獅子崎さん……、こっち……こっちも……」
 潜めた声は厭に甘く鼓膜を揺らした。左側は舐めて刺激を与えられているのに右は揉まれているものの肝心な部分には触れられていないせいでもどかしいのだろう。
「……まだ」
 手に余るまろみを持ちながらも腰はくびれて引き締まったいて同性に羨ましがられるであろう身体つき。
 そして異性の劣情を堪らなく煽るだろう。私でさえこんなに欲情してしまうのだから。
「ひう……っ!うっ、ううぅ……っ」
「おっと……」
 そろそろ触れてやろうかと人差し指の腹で軽く撫でるとガクッと膝から力が抜けたようで崩れた体勢を咄嗟に腰に腕を回して助けた。
「……もうやめる?」
「っいやぁ……もっと……もっと、して……」
 それは時間があればもっとじっくりと可愛がってやりたいと思うものの、仕事は待ってくれない。
 腕時計に眼をやるとあまり時間は残されていなかった。中途半端に昂らせたままでは可哀想に思えてすぐに比留間が感じやすい触り方で愛撫する。
「んっ、んん……っん、んんん……っ!」
 昨夜からイきそうなところで止めて燻っていたのか比留間が身体を震わせる動きに合わせて化粧室の頼りない仕切り壁はがたがたと音を立てる。
 意地悪のつもりで無理難題を押しつけたつもりが、本当に胸だけでイきそうなのかと思うと厭に私の方まで昂ってくる。
「ぃ……く、ししざき、さ……っ」
 息を荒らげて縋るように頭部を掻き抱かれて髪の毛を乱される。それにやたらと愛しさを覚えてちゅう、と先を甘く吸い上げるとそれが引き金になったようで悩ましげに腰を震わせながらイったようだった。
「ん……っ、ふ、は、ふ……はっ、はあ……」
 脱力した身体を抱きしめて、衝動のまま比留間の息が乱れていることを気にせず唇を重ねた。とろとろにとろけた瞳からぽろっと涙が落ちて、甘えるように唇を吸われると堪らない気持ちになった。
 お返しに唇を吸って、どちらからともなく舌を絡め合う。キスなんて身体以上に何も感じない行為だと思っていたのに、比留間の唾液は甘く、頭がぼんやりしてきた。
「……獅子崎さんのグロス、私の混ざって綺麗な色」
 ふふ、と比留間は艶やかに笑う。
「でも……私とキスしたのバレちゃうかも」
 比留間は色が白いのもあってローズ系をよく使っているようだが、私の使うオレンジ系と混ざっていつもと違う色の唇で、そう悪戯っぽく囁いたのだった。