真理にお代わりを貰って、それも飲み干した頃。ティーセットを片付けて来た真理がまたフローリングに座って藍を見詰めた。
「藍くん、家に帰っている?」
力が抜け切っていた分、真理の言葉に対する藍の反応は大袈裟すぎるものだった。しかし藍の中に昨日のような怒りは沸き上がって来ない。
「……だから、毎日違う男と一緒に居るの?」
真理は知っている。アイの生活を。それを思い出した藍は真理を純粋に親切な人から宿主へと認識を改めた。
俯いてフローリングの木目を見詰めていた顔の上で、刹那淋しそうな笑みを浮かべる。
かと思えば、顔を上げて真理に見せた笑顔は、彼の年頃の少女にさえ作れるものではなく。娼婦が品定めをする男たちに送る視線、そのものだった。
「……そう云えば、昨日の事とかお礼してなかったね。ついでにこのまま泊めてくれると嬉しいんだけど。」
藍は真理の肩に手を掛けて、下から覗き込むように甘えた視線を向ける。
「もちろんそのつもりで連れて来たんだけど……。」
明らかに雰囲気が変わった藍に真理は戸惑いを隠せないようで、失敗した作り笑顔で頷き、彼の願いを聞き入れる意志を見せた。
「じゃあ、商談成立ね」
妖艶な笑みを浮かべると真理を見上げる体勢のまま、触れるだけの口付けをする。すぐに離れてもう1度顔を近づけようとすると、真理に両手で肩を押さえられた。
「待って、僕は藍くんとこう云う事をする気はないよ。」
「……は?」
虚勢で云っている訳ではないのは真理の眼を見れば判る。
では、これは純粋な親切なのか。どうしてあんな探るように、色々な事を聞いたのだろう。
アイの噂が本当なのかを確かめた上で泊めようとしたのではないのか。疑問は次々と湧き出た。
「こんな事しなくても、好きなだけ居ていいよ。」
「……馬鹿じゃない? それであなたに何の得があるの?」
娼婦の振りを止めた藍は、途端に馬鹿にしたような笑みを浮かべて真理に問う。しかし、またも藍が求める答えを真理は与えない。
「佐野さん。」
「は?」
何度目になるのか判らない見当違いな言葉。真理は笑顔だったが、どこか淋し気な印象を藍は抱いた。
「真理って呼ぶのが嫌なら、せめてそう呼んでくれないかな?」
何が何だか判らなくなって来る。ただでさえ藍は、目の前の人間の事を考え続けてほとんど寝ていない。その状況で一気に事が起こり過ぎては脳が情報を処理をし切れないのは当たり前の事だ。
もう、どうでも良くなって来た。これは開き直りと云うのかも知れないが。
「……佐野さん、お人好しって云われるでしょ。」
ただ、これだけは云っておこうと藍は呆れたような視線を向けながら溜め息を吐いた。いつか痛い眼を見そうでこう云う人間は怖いと思いつつ。
「うーん……変わり者とはよく云われるよ。」
不本意なのか真理は髪を弄りながら困ったように笑って答えた。
本当にこの人は大丈夫なのか。藍は昨日感じた恐怖を忘れた訳ではない。しかし、今日こうして面と向かって話してみて、純粋と思われる親切を与えられて。昨日ほどの恐怖を感じていないのは変えられない事実だった。
「……気にしないで藍くん。兄貴が寮に入ってから少し淋しかった位だからさ。」
脅かさない様にと気遣いを感じられるくらいそっと掌が伸ばされて、頭をゆっくり撫でられる。
優しくて、温かい掌。人を殴り倒した手、と云う印象は今日で書き換えられそうだった。
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