本能。

 わたしは、生命を刻んでいる。
 薄暗い蛍光灯の下。淡々と。
 機械が歌う、旋律を耳にしながら、黙々と。
 その生命の断末魔は、聞こえない。
 高度な聴力を持たないわたしには。
 否、きっと誰にも聞こえない。
 聞こえたとして、誰も耳を傾けはしない。
 即ち、それは聞こえない事と同じ。
 わたしがこの作業を始めたのは、とある衝動に駆られたからだ。

『お腹が空いた』

 そう思えば思うほど、衝動は強まって行き、死んだ様に活動を停止していた身体を起こして、処刑場へ足を向けた。
 生命を生きたまま安置している冷たい空間への扉を開ける。
 何せ、生きている。冷気が目に見えるくらいの温度を保たなくてはならない。
 尤も、そんな空間に置かれるなんて死んでもわたしは御免だ。
 寒いのは、最近どうも苦手だから。
 か細い呼吸をしている生命は、氷の様に冷たい。
 これから、確実に、息の根を止める。
 冷たい床に押し付けられた足裏が徐々に感覚を無くしているが、大した問題ではない。
 この作業が終われば、どうとでも暖められるのだから。
 わたしの身体、ヒトの身体は簡単には壊れるものではないから。
 刻む。刻む。
 生命の皮を凶器で剥いて、身となる部分を更に、砕く。
 だんだん、と凶器とプラスティックがぶつかり合ってやかましく響く。
 聞こえるはずのない、断末魔を覆うかの如く。
 気がつけば、生命はもう原形を留めていなかった。
 耳に入る旋律に同調して凶器を振り下ろせば、手元など見ていない。
 偶然を装って、この簡単に壊れない身体を壊してみたいからだ。
 残念な事に、少し爪が欠ける程度の破壊行動でしかなかったらしい。
 それはいつもの事だから気には留めず、次の工程に移る。
 先ほどの開けた扉の下の引き出し。開ければ先ほどとは比にならない冷気が、足裏を苛む床を這う様に広がる。
 これ以上寒い想いをするのは御免だ。さっさと目的のものを取り出して思い切り閉めてやった。
 今度刻むものは多分、もう生物的にも物体的にも息の根が止まっているのではないかと思われる。
 零度以下の空間でも生きるものは生きるだろうが、この元生物の残骸は適応出来そうにない。
 一応、同じ哺乳類だし。元。
 釘でも打てそうなままでは凶器は刺さらない。だから文明に頼る事にして、普通ヒトが入れば溶けてしまうらしい装置に入れる。
 解凍。
 こちらの都合で凍って頂いていたのに申し訳ない。と、一応心の中だけで謝罪しておこう。
 何せ、わたしは断末魔が聞こえない。
 くるくると皿が回り、少しずつ本来の姿と言ってはどうなのか判らないが、戻って行く様を眺めてみる。
 電磁波、とやらを浴びてみようと思って。
 装置の照明が消えたところで扉を開けて、柔らかさを取り戻した残骸を取り出す。
 後は先ほどと変わらない。刻む。
 腕が痛んで来たが、刻む。腕が、壊れるかもしれないと、期待して。
 でも、残骸も跡形も無く壊れてしまった。まあ、元々壊れていると言えばそれまでだけど。

『お腹が空いた』

 薄暗い、無意味な破壊衝動と隣り合わせになっていた精力的で原始的な、生存本能を満たすための作業に移る。
 鉛の固まりを熱する。そこに油を垂らし、ばらばらの、ヒトに置き換えてみればとんでもない事になりそうなものを投入する。
 わたしは、耳が聞こえない。状態だ。多分、熱に炙られている今、断末魔は上がっているかもしれない。
 高度な再生力を持つ生命は土に帰せばまた形を取り戻すものもいる。
 今、この瞬間生命は絶えてしまった。
 わたしの手で、殺してしまったのだ。
 弔う様な煙が上がり、見る見るうちに色を変えて行く元生命、元生物たち。
 その状態は正しく、この役立たずな生命を生かすための糧。
 そこにまた、生命は投げ込まれる。
 耳が聞こえていれば肉が焼ける様な音を立てているだろう、白い集合体。
 それぞれを混ぜ合わせて、皿に移した時この作業は終わりを告げた。
 もう、冷たいとも思わなくなっていた足裏を暖められた布団の中に入れたら温度差からか鈍い痛みを感じた。
 テーブルに置いた皿からは今も弔いの狼煙が上がっている。
 そこに匙を入れ、一口含む。
 ああ。こんな姿になっても底知れない力を感じる。
 明日を生きられなかった生命を、感じる。
 わたしなんかより、きっともっと生きる事が出来たはずの生命。
 それを食らったわたしは、まだ生きて行く事になる。
 壊してしまいたいのに、同時に思うのだ。

『お腹が空いた』

 生きたい、生きたい。
 身体は、そう叫んでいる。
 でも精神は壊したいと。終わらせたいと願っている。
 これ以上、殺したくない。
 こんな身体のために生命を殺したくない。
 なのに、その身体は浅ましく生命を食らう。
 事故、と理由を付けなければ、わたしはこの身体を壊せない。
 20年弱。生命を壊し続けたわたしは恐怖を知っている。
 その恐怖を、感触を知りながら刃を向ける事など、到底出来ない。
 だから、役立たずだと言うのだ。
 また今日も嫌悪感に苛まれながら眠り、夢の中で身体を、心を破壊し尽くすのだ。
 そして、また目覚めた時。衝動に駆られるのだ。

『お腹が空いた』



……本当は殺したくなんてなかった。