ねえ、かみさま。

 眼に眩しい青い空の下。屋上で寝転がりながら授業を放棄している少年がいた。少年の表情は好天にそぐわず曇っている。
 だらりと床に預けていた腕を上げて太陽に手をかざした。強い光は少年には眩しすぎたのだ。
 新緑が鮮やかな季節。その匂いは風が吹くと屋上まで届き新鮮な空気を肺いっぱいに取り入れる。

(ねえ、神さま。人間なんてなぜお創りになったのですか。)

 天上にいると云われる神に少年は心の中で問いかける。自分が存在している地球という惑星。ここは昔、水も豊富で大気も澄んでいたらしい。隕石の落下で存続が危ぶまれつつも生命たちはたくましく、もとある姿を取り戻していったという。

(ねえ、神さま。人間なんて森を削り、大気を汚し地球にいいことなんて何もしていません。)

 問いへの返答は当然ながら、ない。それでも少年は心を埋め尽くす疑問に終止符を打つことはできず、問いを重ねる。

(ねえ、神さま。汚い空気を吸いたくないのです。もう呼吸をすることすら億劫に感じるのです。)

 誰のために、何のために自分はいるのだろうか。誰の視線にも止まらない。親にさえ関心を抱かれない自分に、果たして存在している意味などあるのだろうか。
 人間なんて高等な存在に生まれ変わるにはやはり早すぎたに違いない。そもそも人間なんてこの世に存在していていいのだろうか。
 疑問は振り出しに戻る。それは答えてくれる存在がいないのだから当然のことだった。
 何もしたくない。自分が何か行動を起こしたところで何も生まれないのだ。そんな非生産的な行為をしてみたところでミジンコのような自分は誰の眼にも映らないからだった。

ーーただ、ひとりの宇宙人のような友達を除いて。

 彼ならなんと答えを返してくれるのだろう。神に最も近い宇宙人のような彼は。
 教師からの信頼も厚く、クラスメイトたちからも好かれている彼は今頃真面目に授業を受けていることだろう。
 自分はいなくたって教師は気にしない。クラスメイトたちからも心配されることもない。

(ねえ、神さま。人間が……僕が存在することに果たして意味はあるのでしょうか。)

 空を眺めていても雲はゆったりと流れていくだけでそこから神が登場するなんてファンタジックなことは望んでいない。
 ただ、ただこの虚無感を埋めてほしい。誰でもいい、自分を見て、この世界に存在するのだと、存在してもいいのだと云ってほしかった。
 こんなことを彼に云っては自分から離れて行ってしまうに違いない。唯一の友達を失いたくなくて、でも認めてほしいジレンマに襲われる。
 いつからこんなに欲張りになってしまったのだろう。彼に見つけてもらえて、友達になろうと云ってもらえて。それだけでも十分に幸せなことだった。色褪せた日常に彼という登場人物が加えられただけで一気に世界が色づいたのだ。
 しかし、彼は人気者だった。友達になったからと云って何かが変わったわけでもない。ただ、自然と彼の姿を眼で追うことが増えただけだ。
 やはり宇宙人の気まぐれだったのだろうか。自分に興味があるなんて、そんな奇跡のようなことが起こったなんて夢だったのだろうか。
 だが鼓膜には彼が云ってくれた言葉の一語一句、その温度すら逃すことなく鮮明に残っている。
 彼の言葉を脳内で繰り返し再生していると扉が開く音がした。こんな中途半端な時間にさぼりに来るなんて珍しい生徒もいるものだと思っていると足音は近づいてくる。

「こんなところにいたんですね、探しましたよ。」

その足音は頭上で止まり、今まさに脳内で聞いていた声が上から降ってきた。

「体調悪いのかと思って保健室行ったら誰もいないんですもん、さぼることなんてあるんですね。」

 驚きで間抜けなことに口を開けたまま綺麗な顔を見上げることしかできず、黙っていると彼は隣に腰を下ろして眩しそうに太陽を見上げる。
 そんな色素の薄い髪が陽光に透けて輝いている姿すらも美しくて、太陽よりも眩しくて。少年は眼を逸らした。

「まあ、さぼりたい時もありますよね。」

 そう云って彼は柔和な笑みを浮かべて伸びをする。決して咎めるような素振りも見せずに受け入れてくれたことに少年はずっとこの場で考えていたことを打ち明けようかと口を開きかけてはすぐに閉じることを繰り返した。やがてそれすらも止めて再び口を一文字に結ぶ。

「なんか悩んでる顔してますよ、何かありました?」

 さすがは宇宙人だと思った。こちらの云いたいことなんてお見通しに違いない。それならば答えてほしい。人間の、自分の存在理由を。

「俺でよかったら聞きますよ、話してくれませんか?」

 わかっているくせに。そんな言葉が口を吐いて出かけたが必死に飲み込む。宇宙人は自分の言葉で問われることをご所望らしい。どうせすべて筒抜けなのだ。なら、云ってしまったことで何も変わらないのかも知れない。

「……神さまって、いると思う?」
「いないんじゃないですかね。」

 速答されたことに思わず身を固くする。まさか神に一番近いと思われる彼に存在を否定されるとは思わなかった。

「だっているならもっと世界が平和じゃないとおかしくないですか? まあそれが神の思し召しって云うんなら別でしょうけど。」

 世界中の争いについて考えてもみなかった少年はその発想にさすがは宇宙人だと関心を抱く。やはりすべてを見通しているに違いない。

「じゃあ、さ……人間ってなんでいると思う?」
「んー、進化したからじゃないですか? そして種族として生き残ったから。」

 生き残ったから。ではまた隕石の落下が起こったら人類は滅亡するのだろうか。それとも知恵を絞って生き残ってまた増えていくのだろうか。浅ましく生き続ける必要なんていない。滅んでしまえばいいのにと思う。それこそ神の思し召しというもので。
 そして、これが最後の問い。それを口にすることは躊躇われたが勢いをつけるために起き上がった。彼の顔を正面から見据えながら問いかける。

「僕っていてもいいのかな……?」
「もちろんじゃないですか!」

 彼は眩しいと感じる笑顔を浮かべながら突然抱きしめてきた。その腕はとても力強くて痛いくらいだったが、今自分が確かにここに存在するのだと実感を持てて心強く感じる。

「俺はあなたが好きなんですよ、いてくれなきゃ困ります。」

 好きだ、なんて生まれてこのかた初めて云われた言葉に一気に頬が火照った。
 宇宙人が、ミジンコを好き? そんなことがあり得るのだろうか?
 抱きしめられたまま、そんなことを思う。そういえば抱きしめられることもいつ振りだろうか、記憶を探っても残されてはいなかった。

「あ……、迷惑っすよね、いきなりこんなことを云われても……。」
「……いいや、嬉しい……、その、ありがとう。」

 消え入りそうな声になってしまったが礼を云うことができて安堵する。
 新緑の匂いを乗せた風が頬を撫ぜても熱は冷めそうにになかった。おずおずと彼の背中に腕を回して抱きしめ返すとふっと笑った気配を感じる。
 ずいぶんと身近なところにいた宇宙人改め神さまの胸に顔を埋めながらそっと眼を閉じた。
 もう神は死んだのかも知れない。けれど、自分だけの神さまは確かにここにいる。

ねえ、神さま。実はあなたはとても近くにいたのですね。
ねえ、神さま。僕のことを見つけてくれて、ありがとう。
ねえ、神さま。僕はミジンコだけど、あなたが好きです。

あなたはいま、どこにいるのですか。