
今日は10月31日。
元々は西洋の収穫を祝う文化であるが、この国では各々好きな仮装をしたり、お菓子を集めるというイベントとなっている。
『トリックオアトリート』
この一言を放たれた者はお菓子を差し出さなければ悪戯をされても文句は云えない、ある意味理不尽なご挨拶だ。
今まで比留間はこういったイベントにさして興味を持っていなかった。仕事となれば話は別だが、プライベートでは別にそういった遠回しな誘い方をする必要性などまったく感じていなかった。
しかし村井という恋人ができて、更には身体が女性化するという受難を受けてからは楽しみを見出せるようになった。もちろん雰囲気も何もなく「やるぞ」と押し倒した時の村井の反応も楽しいものなのだが、せっかく素直に様々な表情を見せてくれる年下のかわいい彼氏。揶揄ってやらない手はないというものだろう。
今日ももれなく浮かれた気持ちで村井の帰りを待っていた。
ありきたりな、何でもない一日が村井の存在が加わるだけで鮮やかに色を纏う。
それが幸福なことであると受け入れるまでは随分と時間を要した。
冷めきった指先は村井の体温に困惑したのだ。それでも今では村井がいなかった日々に戻ることは困難なほど、頭からどっぷりとぬるま湯に浸かり切ってしまった。
「ただいまっすー!」
バンと勢いよく扉を開けて快活な声で帰宅を告げた村井の声を聞くと、胸の辺りがくすぐられた心地になる。
「あれ……ミケさん? あ、寝てる……」
比留間はすっぽりと頭まで毛布を被ってベッドに横たわっていた。何か仮装でもしようかと考えたが、どうせ脱ぐことになるものだと毛布を被っただけでお化け、という至ってシンプルなものに落ち着いたのだ。
それを眠っていると判断したらしい村井は静かに扉を閉めて、足音を立てないように静かに比留間が潜んでいるベッドを目指して歩き出す。
鋭い獣の耳は近づくにつれ大きくなる村井の足音をはっきりと捉え、今か今かとタイミングを窺う。早く驚かせたい。しかしタイミングは大事だ。
「トリックオアトリート!」
「うっわああああああ!!」
足音が止まったところで今だ! と毛布を被ったまま勢いよく起き上がった。寝ていると思っていた比留間の予想外な行動に村井は飛び退いた。無事にイタズラが成功したことを喜んで比留間はからからと笑う。
「ひ、ひどいっすよ! あーびっくりしたあぁ」
構えの姿勢を解いたものの村井の尻尾はばたばたと落ち着かない様子で揺れている。
「……で、お菓子は?」
「あ、ありますよ!」
「へっ?」
自信満々に胸を張る村井にこれは想定違いだと比留間は気の抜けた声を上げた。
「はい! はっぴーはろうぃんって云うんすよね!」
「あ、ああ……どうも……」
差し出された村井お気に入りの駄菓子を受け取りつつ、目論見が外れたことへの対応を思案する。いつもの村井ならお菓子なんて持ち歩いていない。買ったその場、もしくは貰った時にすぐ食べてしまうというのが常だった。
心置きなくイタズラできる日。たっぷりと泣かせてやろうと思っていただけにここは何としても一発かましてやりたいところだ。
「……あ、景虎。俺には聞かねえの?」
「おっ、そうっすね! えっと、とりっくおあとりーと、でしたっけ!」
「……俺お菓子ねえんだけど」
先程貰った駄菓子の袋を開けると子供の頃を思い出す、ケミカルな匂いがした。
「これ、半分こでもいー?」
ぱくっと咥えて顔を向けると比留間の意図を察した村井の顔が、首までぶわっと赤く染まる。
そんなに浅い仲でもないくせに一々反応が初心で、可愛いと思う。
「えっ、え……えーと、じゃあ……」
戸惑いを隠しきれない様子で村井は反対側をがぶっと噛んだ。村井の一口は大きい。一気に顔が近づく。
さくさくと音を立てて少しずつ距離を縮めていく。もう少しで唇が触れ合いそうというところで、村井は生娘のように顔を逸らして両手で覆った。
「やややっぱ無理っす……!」
「ぷっ……」
まあ、今日のところはこのくらいで勘弁してやろう。口の中の水分を奪う駄菓子を飲み込んで比留間は笑った。
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