ホワイトデーSS

 ひと月前の今日。村井景虎は恋人である比留間ミケからバレンタインの贈り物を受け取り、喜びに満ちた時間を過ごした記憶は鮮明に残されていた。
 そこまではよかった。問題は今日だ。甘いものが得意ではない比留間には一般的なお返しとして喜ばれる菓子を送ることはできない。
 数日前から村井は悩んでいた。何を贈れば比留間は喜んでくれるだろうか。アクセサリーの類いも考えたが彼女は洒落ていて身に付けるものに拘りがあるようで下手に選んで贈ることは憚られた。「気に入らない」と突っ返してくれるのならまだいいものの、比留間は喜んだ反応をして受け取ってくれてさらにはそれを愛用してくれる。
 比留間を自分好みのもので染め上げるのも悪くはないのだが、女性化によって娯楽をほぼ奪われている彼女の楽しみをあまり奪いたくはない。
 そうなってくるとやはり形に残らないもの、例えば比留間が好きなまたたび酒を贈るのが安牌と云えるのだが、それでは何の面白みもない。何か意外性があって邪魔にならないもの……。

「村井くん、さっきから何唸ってるの?」
「あ? 悪りぃ!」

 村井はよく指名してくれる女性カリソメ飼い主の声にはっと自分が出口の見つからない思考の迷路に迷い込んでいたことを自覚させられた。室内ペット業務中だったからまだ良かったものの、番犬業務中だったとしたら決して許される行いではない。

「あ、わかった。ホワイトデーのお返し悩んでるんでしょ?」
「なっ、なんでわかったんだ!?」
 ぴたりと云い当てられて村井はひっそりと心拍数を上げた。
「バレンタインデー比留間さんからもらえたって喜んでたもんね。私のは義理ですら受け取ってくれなかったのに」
「だ、だってよお……」

 村井はぐうと言葉に詰まる。比留間と付き合う前はチョコレートの数は多ければ多いほどオスとして優れているのだと、勲章のようなものだと思っていた。しかし、愛する人ができてみると例え感情が籠もった贈り物ではなかったとしても、比留間に対する不義理を働いている心地にさせられて受け取ることができなかったのだ。

「まあ、別に美味しくいただいたからいいんだけど。で、なんで悩んでるの? 好きなもの贈ってあげればいいじゃん」
「いやさー、なんかそれじゃ面白くなくね? もっとこう、サプライズ! 的なことをしたいわけで」
「サプライズねえ……あ、いいこと思いついた」

 妙案が浮かんだとカリソメ飼い主が喜色に染まった声を上げたあと、ぷっと吹き出したかと思えば途端にお腹を抱えて笑い出し、村井は混乱しながらもその理由であるアイディアを知りたくて尻尾をぶんぶんと振りながら身を乗り出した。

「あ……、あのね……」

 必死に笑いを堪えながら息も絶え絶えなカリソメ飼い主が内緒話をするように村井の獣耳に、そっと己の考えを吹き込んだ。


* * *


「ただいまっす……」
「おう、お疲れさん」

 いつもは早く比留間に会いたくて走るなと云われる廊下を全力疾走して帰ってくるのだが、こそこそと帰ってきて静かに扉の開け閉めをした。しかし鋭い聴覚を持つ山猫の耳は村井の帰宅を捉えたようで、比留間はキッチン部分から姿を現した。それを見て村井は咄嗟に贈り物を背中に隠す。

「どした? なんか元気ねえけど」

 比留間は心配そうに近付いてくると眉を顰めてくんくんと鼻を鳴らして首を傾げた。 

「あ、あの……これ……!」

 背中に隠した贈り物を比留間に差し出す。彼女はきょとんとした顔をして、数秒後げらげらと声を上げて笑い出した。まさに、この案をくれたカリソメ飼い主のように。

「っ、いやっ、ごめっ、嬉し……っ、嬉しいんだけど」

 笑い声の合間合間に比留間は必死に感情を伝えようとしてくるのだがどうしても村井の贈り物の意外性が笑いのツボに刺さったらしく、薄らと眦に涙が滲んでいる。

「え、どうした……? なんで、お前が花なんて」

 は、はと胸を喘がせながら比留間は花束を受け取ってそれと村井の顔をまじまじと見比べる。

「ば、バレンタインのお返しっす!」
「……え」

 ぴたっと比留間の笑いは引っ込んでぽかんと感情を取り落としたような表情を浮かべる。

「え……、あ、別に……よかったのに」

 すっと頬に朱が差してそれを隠すように比留間は花束に顔を埋めた。

「なに……なんか、お前……え、いや、だって……」

 もごもごと比留間は口を動かして独り言つて、先ほどの笑いの涙とは別に瞳を潤ませる。
 こつんと村井の左胸に額を当ててぐいぐいと擦り付けてごろごろと喉を鳴らす。子猫が親猫に甘えるような仕草に村井は堪らず背中に腕を回して抱きしめると、比留間は慌てて腕の中から逃れようともがいた。

「だめ、せっかくお前からもらったの潰れるだろ」
「す、すんません……」

 そう云われては無理に腕の中に閉じ込めることはできず、腕を解くと大事に、赤子を抱きしめるように花束を抱え直した。

「ありがと……その、大事にするから」
「? ミケさんが喜んでくれたんなら俺も嬉しいっす!」

 心の中で提案してくれたカリソメ飼い主に最大の賛辞を送りながら村井はこれからも時々花束を贈ることにしようと心に決めたのだった。



 後日、比留間がインターネットでドライフラワーの作り方を検索していたのは云うまでもない。