理想と現実。

「なんというか、ミケって奇跡の体型だよね」
「え?」
 尚さんと一緒に都内なのに天然温泉が売りの日帰り温泉に来ていた。
 一緒にお風呂を回り、予約制の貸切岩盤浴で伸び伸びと身体を伸ばしていた時に、尚さんが突拍子もなく云うので私は思わず半身を起こした。
「いや、見る気はないけど視界に入っちゃうから見ていたらそう思っただけ」
「……それ矛盾していません……? つまり見てるんですよね! えっち!」
 すぐに身体を伏せて念入りにタオルまでかけて隠した。
「だって全体的に小さいのに胸は大きいしお尻も太ももいい感じなのに腰は細いから。かといって鍛えてる訳でもないのに不思議だなあと」
「……尚さん変態っぽい」
 時々、尚さんは綺麗で優しくて完璧なのにおっさんのようなことを云う。それは尚さんが口に出していないだけでそういうことを思っているのかもしれないけど。
「……これでも結構気にしてるんですよ。そういう眼で見られてばっかりだし。いや、まあ元ビッチだから仕方ないですけど」
「まあ、わかるよ。触りたくもなるよね、触らせないけど」
 にやりと、笑う尚さんが怖い。怒らせると絶対によくない。敵に回してはいけない。
「あー……子供の頃から結構大きかったんで触らせてってよく云われましたね……」
「男に女に?」
 怖い。私が何かされるわけでも記憶に残っていない同級生が何かされる訳でもないのに。
 室内の温度が三度くらい下がった気がする。本気で。
「いや、私も相手も子供ですから……」
「ふーん。で易々と触らせたと。相手がどんな意図を持っているかも考えずに」
「うう……」
「そもそもミケは隙が多すぎるんだよ。だからしょっちゅう痴漢される」
 尚さんと暮らし始めてすぐのこと。私は痴漢に遭った。いつものことなので気にせずにいたら気づいた尚さんが取り押さえて駅員に突き出したのだ。
 それ以来尚さんは私をドアの傍に押し込んで守ってくれるようになったのだけど、あの時の痴漢を見る尚さんの眼は大変恐ろしかったのを鮮明に思い出せる。
「……まあ、そこが可愛いところでもあるんだけど」
「尚さん……」
 ちょろい自覚はある。恐れを覚えていたはずなのに、最後に甘い言葉を云われるとすべて帳消しになってしまう。
「いい? まずはミケがしっかりしないと、いつも私が見ていられるわけじゃないんだから」
 尚さんは自分をしっかり持っているから、毅然と振る舞うことができているのだ。
 でも私はふらふらしていて、誰にでも好かれたくて大抵のことは許してしまう。
 親に愛されなかったわけではない。ただ病弱な弟の方に両親の関心は常に向かっていた。
 幼いながらにもそれは仕方がないことだと表面的には理解しながらも、愛情不足を埋める助けにはならなかっただけのこと。
 こんなことを話しても何かが変わるわけではない。だから私はいつも通りに「はぁい」といい子の返事をする。
 尚さんは私が何を云っても肯定してくれる。そして間違っていれば親のようにきちんと道を示してくれる。
 それだけで充分幸せなことだ。幸せなことと、不幸なことは半分ずつあるという。
 決して今までが不幸だったというわけではないけど、今まで不足していた愛情を尚さんが注いでくれているから。
「尚さん、好き」
「……こんなところで誘われても」
「誘ってないです! 純粋な気持ちです!」
 どうして婉曲した意味で伝わってしまうのか。それは私が元ビッチだからなのか。
「本当に尚さんっておっさん思考……」
 思わず憎まれ口を叩いてしまう。
「ミケが可愛くて仕方ないだけだよ」
 そしてすかさず飴を与えられるところっと私の機嫌は元通りになる。
「やっぱり好き……」
 室内の暑さと気持ちの高まりにめろめろに溶かされてしまいそうだった。