ペット学園。

‎ じゃんけんに負けた。
たったそれだけで人生が180度以上変わりそうな出来事なんて早々ないだろう。しかし今、それ以上に度肝を抜かれる光景を目の当たりにしてしまい、絶句していた。
「はっ、あ……あ、っんん…っ、気持ちい……もっと……」
‎ 白衣を着た理科教師、比留間ミケと、何かと黒い噂が絶えない猫又翡翠が、そこにいた。


‎ 授業中にも関わらず準備室の方から何やら音がする。
しかし今授業を行っている教師はまったく気にする様子もない。
‎ そうすると次に疑うのはこれは自分たちにしか聞こえない。幽霊の仕業ではないか。そんな憶測が面白半分で飛び交った。その後、真実を知りたくなってしまうのは当然の摂理と言えただろう。
 そして冒頭に繋がる。誰がそれを確認するのか。仮にも授業中に話し合いなんてまどろこしいことはしない。公平ですぐに決着がつく、それがじゃんけん。
 その結果負けた少年は「トイレに行きたい」と挙手をして教室を出てすぐ隣の準備室の前に行った。
 何かが軋むような音。それと何だろうか乾いたような湿ったような音が複雑に絡み合ってそれぞれを特定することは出来ない。
(誰も、いないんだよな……?)
 幽霊なんてものは信じていない。それでも正体不明の現象と対峙するのはそこそこの勇気がいる。
 開けて見たら実験機材が誤作動していたくらいの出来事かもしれない。泥棒とか不審者がいないとも限らない。念のため慎重に扉を開ける。音を立てずスライドした1枚の板の向こうに、不審者はいなかった。そう、不審者は。
ギシッと、原因がわからなければ不気味だった音もわかってしまえば当たり前に発生する音だろう。そこそこの体格の男2人の体重がかかれば鳴らない方がおかしい。
「ん、んっ……」
 目撃した時からずっと重なっていた2人の顔が離れた。すると、準備室の奥側にいた比留間と視線が合ってしまった。
「……っ!」
 やばい。いや、悪いことをしているのはどう考えてもあちらに違いないのだが結果的に他人の情事を盗み見てしまったために、気まずさの方が先行する。
「ふっ……」
 しばらくじっと見つめ会うだけの状態が続いていたが、不意に比留間が口端を吊り上げて笑った。そして、唇に人差し指を当てるジェスチャーをする。
 静かに。いや、それはあなた方がでしょうと突っ込みたかった。だが唇に当てた指先をそのままぺろりと一舐めして、咥える仕草がやたら艶っぽくてどうでも良くなってしまう。
「ん、んあぁ……! ちょ、っま、待てって、こら……っ」
 椅子の軋む音が激しくなるにつれて比留間の表情から余裕が失われていく。
「あぁ? お前がやれって云ったんだろ。面倒くせぇこと云ってんじゃねぇよ」
 猫又の言葉の直後、ほとんど音がない室内に甲高い比留間の声はやけに響いて聞こえ、こちらの方がどきりとしてしまった。
「はあっ、は……っ、んん、んあっ、く……!」
 先ほどより猫又の動きが激しくなると肩口に額を押し付けて声を殺そうとしているようだが、難しいようで時折生々しい声がはっきりと聞こえる。
「……で」
 首だけを動かしてこちらに顔を向けた猫又の目があまりにも冷たい色をしていて、ごくりと唾を飲み込む。
「お前、何なの。混ざりてぇの?」
「い、いや……」
「あっそ。じゃあさっさとどっか行けよ」
 瞳と同じくらい冷たい声でそう云われると意識せずとも体が勝手に動いた。扉を開けた時のように音も立てず閉めて、準備室の前から離れるとようやく見慣れた世界に戻ってきた気がして深く息を吸って吐くのを繰り返した。
 あれは一体何だったのだろうか。そしてその答えを出す前にまたすぐ問題にぶつかった。
 幽霊はいなかった。しかし、あの出来事を何と説明したら納得してもらえるのだろうかと。