世界が終わる必要なんてない。 こんな世界でも楽しく生きられている奴らまで巻き込むほど、俺はそこまで追い詰められてはいない。 これはただの賭けだ。 こんな世界でも、まだ生きていて、楽しみはあるのかと。 世界、否、信じていない神への、確認作業だ。 仕事で男を抱いた。 いつものことだ。簡単な作業だ。 愛おしい。なんて余りにも軽過ぎてすぐに露と消えそうな、心にもない言葉を吐いて。 そんなものだから、何度も俺を呼んで、甘えて、繰り返しその言葉を求めるのだろう。 ただ、悲しいことに存在しないものを幾つ重ねようとも、残るものは何もない。 今日はやたらと感覚が鋭敏だった。 それは精神的にも。だから生きているのが馬鹿馬鹿しい。普段は奥底で死んでいる感情が息を吹き返して、喚き立てる。 死ね。早く死ね。死んでしまえ。 耳を塞ぎたい。壁に頭を打ち付けたい。それでも内なる声は消えない。 わかっている。 だから適当な男を引っ掛けて、めちゃくちゃに抱かれた。 だいぶ無理を言って困らせた。それでも俺がこの場で狂ったように暴れて、巻き添えを食って死ぬよりはマシだろう。 ヒトはか弱い。ヒトではなくなった俺は簡単には死なない。 致命傷に満たない傷などすぐに痕も残らずに治る。 ヒトと殺し合いをしていた頃にはいいものだった。 しかし、仮初めの平和が戻った今となっては邪魔な機能だった。 どうせなら、捕らわれたあの時に殺してくれればよかった。 顔も覚えていないヒトに恨み言と一緒に紫煙を吐いてもどうしようもない。 それも、わかっている。 自室に戻って、シャワーを浴びる。 それで幾らかは感情が鎮まるかと思えばそうでもなかった。 気が触れたように、相変わらず喚いている。 気楽なものだ。お前はずっと喚いているだけでいい。 気が触れているのは、俺も同じだ。 それなのに、俺は真面な振りをして、生きていなければならない。 気休めのような睡眠薬を、適当に取ったリキュールで流し込んで頭まで布団を被って眼を閉じる。 ずっと、呪詛のような悲鳴は止まない。 ああ、もう。耐えられない。 生物兵器として、来る日も来る日もヒトを殺し続けた。 その時のような高揚感。 悲鳴を聞きたい。血を浴びたい。 殺し合いを、したい。 ペットとなった今、そんな欲求を満たせる依頼などほとんど来ない。 だめなのだ、俺は。 いつだって、緊張感の中に身を置かないと。 いつでも死ねる。その保証がないと、正気を保っていられない。 布団を蹴り飛ばして、簡易キッチンに駆け込む。 戦争中の心的外傷を適当にでっち上げて処方されている睡眠薬。 中身をすべて口の中に詰め込んで、リキュールで飲み込む。 調理器具入れから包丁を取り出してでたらめに手首を何度も切りつける。 当たり前だが痛い。しかしそれ以上に鮮明な緋色と、その甘ったるい匂いに思わず舌を這わせる。 足りない。こんなものでは。 とにかく切り刻んていると肌が見えなくなってくる。血で染まった俺の中身。 実は捕虜になったあの時に俺は死んでいて、意識だけが残っているのかと思う時がある。 しかしこれを見ると、俺はまだ生きているのだと実感を得る。 薬が回ってきたのか、血を流し過ぎたためか、意識が薄れてくる。 これで、満足か。 まだだ、と声が聞こえた気がして。 喉元に包丁を突き立てて、真っ赤に染まった壁が見えた瞬間。 意識は途切れた。 ☩ ☩ ☩ 喉を締め付けられる不快感が、覚醒の契機だった。 「あ、ミケ。おはよう。」 何度、この光景を見ただろうか。 「もー、相変わらず激しいんだから。」 敢えて意味深な言葉と笑みを浮かべて、玉響は死に損なった俺を慰める。 ぼんやりと天井を見上げて、まだ生きろと。 残酷な答えを返した神を呪った。 「はい、早く怪我治るように。それと、」 玉響は毎度同じことをする。既に包帯が巻かれている上にハートの模様が印刷された絆創膏を貼り付けた。 「もうこんなことしないでね。俺、悲しい。」 一番傷が深いだろう首に唇を押し付ける。 可哀想に。と俺は、俺を諦めきれない玉響をそっと憐れむ。 既に俺自身が諦めているのに。俺は変われはしないというのに。 声帯が損傷している俺は話すことができない。 だから、口許を吊り上げて、嗤う。 『もう、飽きればいいのに。』 そろそろ、赦して欲しい。
↓下記流血描写画像注意。
